作間くんとわたし

今は昔、わたしが最も熱心にジャニオタをやっていたのは2013年だったと思う。なぜその後失速したかと言えば、2014年初頭、BSが見られない家に引っ越し、多忙になり、そのころまだWeb化していなかった(というかハガキからWebへの移行期だった?)(ハガキ時代ってなんなんだよマジで)ジュニア情報を追いかけるには時間も熱意も足りなかったからだ。あとふつうにその頃SexyZoneが3人になったり、DREAM BOYSの座長がキスマイに変わったり、青山劇場のPLAYZONEはどうがんばっても全然チケットがとれない高騰現場に変わったりして、なんかつまんないな。と思っていたことがたぶんいちばん大きい理由だと思う。

実家に帰るたびに撮りためてもらった少クラを何ヶ月分も一気に見るけど、そのたび北斗とジェシーがデュエットしてるし、トラビスジャパンには興味が持てないし、好きな高身長無所ラインはそのときどきで扱いが微妙に良くなったり悪くなったり、なんかつまんなかった。そういえばジャニーズWESTがジャニーズWEST4から仲間を救うように7人組になったことも全然喜べず、残酷さこそがジャニーズの醍醐味だろ、と思っていた。今でこそキンプリの形がしっかりしてきたから言わなくなったけど、シンデレラガールが出てくるまで私はずっと「WEST4にしょうれんを追加した6人でデビューしてれば私こんなにキンプリの悪口言ってないのに」と、普通に口に出して言っていた。笑(この編成でのステージの披露は少クラでたしか何度もあったから、現実味がまったくない話ではぜんぜんなかった。)

なんかつまんない、という感情が一番やっかいで、去年までは毎月5誌をしっかり買ってセクバのさらにうしろについているジュニアの名前もすらすら言えた自分が、気付いたらのちにユニットを組むような子たちの名前も全然わからなくなっていた。

 

それでもときどき現場に行っていたのは、風磨くんのことをまだ諦めたくなくて気にかけていたこと、そして安井担の友達の存在がとても大きかった。

いまのようにはっきり誰がどこのバックにつきます、と、いや別に今もあんまり先には言われないですが、たとえば血眼になってツイッターを見なくてもジャニーズWebにあたりまえのようにジュニアの連載があってそこで日記が見れるような時代ではなく、そしてユニットも全然なかった時代に、さらにそのなかでも孤高の存在化していた安井くんがどこに出没するのかは本当にわからず、博打のようにチケットを連番で申し込んでくれる友達のおかげで、かろうじて私はジャニーズの現場からまったく離れずにいることができた。

2015年、TDCでのサマーパラダイスの日程が発表されたとき、その友達が「安井くんが出るのはきっとはっしーのソロコンだと思う」といってはしソロのチケットを連番で手に入れていた。この時点で一度はTDCに入ることが決まっていたけれど、怠惰な私は風磨くんのソロコン(はしソロより前の日程)にいくかどうかギリギリまで迷い、結局幕が開く直前に別によくも悪くもない席のチケットを定価で譲ってもらった。その後、幕が開いたら安井くんが風磨ソロのステージに立っていて、チケットは瞬く間に高騰した。私は風磨くんも見たいけど、安井くんがどんな様子だったかも伝えなきゃと思って、注視していたように思う。

そして失意の中「メインバックといえるものはついておらずほとんどはっしーが一人でステージにいる、バンドが出てくる」という事前情報のもとはしソロに向かうと、その席は最前列、せり出しの丸いメインステージ脇の超絶いい席だった。笑

TDCにそれまで全然入ったことのない私たちはチケットの「L1 〇〇番」の意味を理解しておらず、L1という扉がありそこから割り当てられた番号の席なのだろう、と思っていたら、L1とはライン1、つまり最前列の意味だったのだった・・・笑

 

と、いうことまではざっくりとこのへんの記事にも書いております。

 

contrex.hatenablog.com

 

contrex.hatenablog.com

 

 思い返したらこの年クリエも行ってるな。贅沢ですね! それはさておき。


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最近出たこの公式動画でも語られているように2015年のサマパラ、とくにはしソロはメインバックがいないこともありマンションジュニアがとても優遇されていた。バンドメンバーが出ている時は立ち位置ドンピの小川優くんをうっとり眺め、当然ソロコンの最前なんて該当担かバック担の中でも猛者しかいないので最前で自分をガン見してくる明らかに誰目当てでもない女に小川くんはやさしく何度も微笑んで手を振ってくれわたしはメロメロになった。のもさておき。笑

バンドメンバーが出ていない、はっしーがソロで歌っている間は失礼だけどマンションジュニアをぼーっと眺めていた。前述したようにあたらしく入所したジュニアの名前なんかもうぜんぜんわかんないような状態になっていたけれど、その中にひとり気になる子がいた。しろくてほそくてちっちゃいんだけどちびっこの中では大きくて、マンションにいる中学生たちの落ち着きのない動きの中ひとり飄々としているのがなんだか気になった。名前はぜんぜんわからないけど、当時ラーメンマンみたいな髪型でしゃかりきにダンスしていたラウールの名前はぎりぎりわかったので、「あのラウールの横の白い子かわいい!」と友達に話しかけたら「私もその子気になる!」と言われたのをいまでも覚えている。

たしかはしソロは映像化されていないけど、はっしーの客降りかお着替えかの時間にマンションジュニアがメインステージにおりてきて、体育座りで並んでゆらゆら揺れる童謡タイム笑があったことは覚えている。最前付近の猛者たちもさすがにそれぞれ「かわいい・・・」という声を漏らしてそれがこだまになって響くくらいみんなかわいかった。

その後、ごはんを食べながら、安井くん目当てに友達が買ったパンフレットの中からさっきとびきり輝いて目についたかわいい白い子を目を皿にして探した。その子の名前が「作間龍斗」だということを知った。そして友達がかわいいと思って気になっていたのはラウールの「右隣」にいた作間くんではなく、「左隣」にいた森田まひろくんだったこともわかった。作間くんが2002年生まれなことを知り、とっさに年齢がわからずその場で計算した。中学1年生だった。本格的にはまることはないだろうと思っていた。

それでもそれから、少クラを見るのがそれまでより少し楽しみになった。HiHiJets加入秘話動画で「いきなり前列に行った」と語られているけれど、とはいえそれはバックの、セクバ(現キンプリ)のさらにうしろにいる子の中では前の方、というだけで、少クラで名前の字幕が出るようになるには少し時間がかかったように思う。ただ当時から背が高く、いまも持っている独特の雰囲気があって、立ち位置の割にはかなり見つけやすかった。

そしてそれゆえに危惧していたのは、それなりにいい位置にはいるけれど、この子はどこの誰と組ませた時一番輝く子なんだろう?ということだった。当時まだ中1のわりに、身長が170センチを超えているように見えたし、マイクを持って歌うには若すぎるけど、それにふさわしい年齢になる頃にもまわりの同世代の子たちが追いついてくれるようには見えなかった。HiHiJETが結成されても、ClassmateJが結成されても、そこに作間くんの名前はなかった。と、思ったらHiHiJetsに加入して、2016年のサマーステーションではじめて公式の顔と名前入りのグッズが出たけれど、VS公演ではしみずはチーム覇に配属されているのに、作間くんはわらわらバックが着ることでおなじみの黄色い衣装で3公演ある日の朝公演をけだるげにこなしていて、やっぱりそこには厳然たる差があることはあきらかだった。夏が終わるころHiHiJetsはHiHiJetにメンバーを変更して戻り、また4人組として華々しく活動するようになった。

 

しかしその夏、2016年8月3日放送の少クラ、「Jr.にQ」のコーナーに呼ばれることで私はなんとはじめて作間くんの肉声を聞くことになったのです。というかそれまで声を聞いたことがそういえばなかった! ということにすら気付いていなかったのですが・・・そしてそこで取り上げられたのが「チャーハンにガムシロップ」・・・もしかしてめちゃくちゃ変な子を推してるのかも・・・このあたりから、少しずつ作間くんという存在がみつかりはじめた気がします。(それまで作間担なんてこの世に3人ぐらいしかいなかっただろ。そして私もいまだ作間担ではない。笑)

 

そして2017年3月に開催が発表された横浜アリーナでのジャニーズJr.祭り。前述の安井担と、Jr.集合公演は当たらないだろうけど、Love-tune単独は当たるだろうから単独だけ行こう〜と話し合ったもののまさかの単独が1枚もとれず爆死。落ち込みまくりのなか発表された4月、さいたまスーパーアリーナでの追加公演、そう、伝説のデジチケ導入初日。小雨の寒い屋外に3時間待機させられたあとに見た公演で、なんと、作間くんひとりがステージに立つコーナーがあったのです。

 

追加公演は3月の祭りと大幅に構成は変わっておらず(たしか)、3月時点では当時シンメを組むことが多かった、というかHiHiメンバー以外でまともにローラーを滑ることができた数少ないJr.の林蓮音とふたりで外周をローラーでまわるつなぎのコーナーがあることがわかっていました。ただ、れんれんが怪我といわれる事情で4月公演を欠席。開演前の大トラブルのあと、不思議な興奮に包まれる中盤〜後半に、いままでに見たことのあるなかでいちばん華やかなローラー映えするひらひらした布がついた衣装を着て、さいたまスーパーアリーナをひとりでひょうひょうと滑る作間くんの姿がありました。

このとき作間くんのことを作間くんとして認知できていたおたくの数はけして多くなく、というか、会場の7割ぐらいの人が「この子誰?」と思っていたと思います。少クラで名前テロップが出たことがあるかないか、Jr.にQに一度か二度出演しただけの子だから当然です。そんな明らかに大プレッシャーがかかる状況のなか、はしゃぐこともなく、これまでに何度も見たことのある年齢にしては(当時中三になりたて)落ち着きすぎた表情で、自分の役割をただしっかりとこなすようにたまアリの広い外周を何周かする姿は、いまでも時間が止まったかのように思い出せます。その姿はあたりまえですがジュニア担のなかでプチバズを起こし、その年のクリエに呼ばれ、骨折した猪狩さんの代役をつとめ、林蓮音から佐々木大光にシンメを変え、ふたりで披露した「Yes!」がわりと大きめにバズり、そのころには作間くんを認知するおたくも膨大な数に増え、「この子の来し方行末は!?」とだれもが心配するようになるような立ち位置になりそこから半年ほどの悶々とした時間のあと、HiHiJetsへの正式加入が発表されます。そこから先の活躍についてはみなさんの知るところだと思います。

 

「まだ中学生ってことは・・・この子は割烹着を着て給食の配膳をしているの?」そんなおたくのツイートが何度も流れてくるようになった2017年の後半、とはいえまだどこのユニットにも所属していなかったあのころ、作間くんがもしこのまま高身長無所ラインに入ってしまって、現場の予測を立てて祈るような気持ちでチケットをとるような未来が訪れたらどうしよう。と作間くんに好感を持つおたくとハラハラと心配するような時間を過ごしたこともいまは懐かしく、このたび代々木第一体育館でのHiHiJets単独コンサート4公演も発表されました。演技のお仕事も数多くこなし、活躍する姿を見るたび、広いさいたまスーパーアリーナ、ほとんど味方のいないような空間でひとりでBGMだけを背中にローラースケートで舞う作間くんの姿が頭をよぎります。

あそこからどこにもこぼれ落ちることなく、現在までの活躍に至ったこと。そのことに対して何度も何度も感動しているときめきを、私の中の思い出として、いつか全部忘れてしまいそうなので、やっと書き起こしてみたら5000字にもなってしまいました。

 

みなさんご存知の通り、2018年からLove-tuneの活動がほとんどまったくなくなってしまい、安井くんがジャニーズを辞めたことで友人の安井担からチケットがまわってこなくなったこと。そしてバブルとしか言いようのない様子でふくれあがっていく「ジャニーズJr.」というパッケージの活動と自分の性向が合わなかったことで、私はしばらくジャニーズ現場から離れ、あまりその間の活動を追っていなかったのですが、コロナ禍の暇に乗じほかの現場が激減する中久しぶりに配信で見たジャニコンで「やっぱりジャニーズ最高!!」の気持ちが蘇り、今年の夏はせっせとチケ発をするまでに戻りました。

 

SummerParadise2021、舞台「少年たち」、そして「ひらいて」、さらに国立代々木競技場第一体育館での単独4公演。

作間くんの印象ははじめてTDCホールで見た、責任感が強く、しかしそれをひけらかすことをせず、淡々とお仕事をこなすというものからまったく変わりません。おそらく職業意識が強く、仕事としてやるからにはお客さんに向き合うことも大切、というスタンスはなんとなく自分自身の背中も律してくれます。

これからの作間くんの活躍は約束されたものだと思いますが、未来にはとても期待しながら、ずっと好きな気持ちが続けばいいなーと思っています。