ぶっこわれている

家の中と生活がぶっこわれている。座っているだけで耳が聞こえなくなる。人に声をかけられるまで食事の存在を忘れている。「最後の一口ぐらい残さずおこう」と思って詰め込むよりだいぶ以前、目の前の食事が減らないことがすでに認識の枠の外にある。歩いたら体温が上がってそのあと三十八度まで上がる。Twitterにいいことだけ書く。本当に思っていることだけ書く。「美しいことが何より大事」「守るのは倫理だけ」「つらいことを我慢しない」「誰よりも自由でいる」それは本当に思っていることだけど、言い聞かせるみたいに書く。書かないと、実践できなくなりそうだから。いつのまにか我慢をして、自分を犠牲にして、「私がやればいい」「私ができないから悪い」に落ちそうだから。でも私は悪くない。私ができなかったとしたら、それはできるように助けを求めても応えてもらえないことが問題。そもそもできなくてもいい。何も。何かができることが価値ではない、何かができるようにならなければいけないなら、誰かがそうできるように助けるしかない。

美しいことだけが正しい。家の中が終わってる。モラルを勘定に入れないのは計算ミス。できない時逃げそうになる。でも逃げてなにが悪い?私のことは私しか大事にしてあげられない。私は私だけを一番大事にする。誰かに大切にされるための私を作るのは私。生きてることに価値をつけてあげられるのは私。

死にたいって言わない。私を殺せるのは私だけ。不運で死なない。死ぬ前に逃げ出す。家がもうめちゃくちゃなままパーティに行く。健康をないがしろにしない。助かる。だって、助かる以外に方法がないから。

『私は悪くない』って曲の中で「生きてて本当にごめんなさい」って言う歌手の曲を聴いてる時だけ、生きてて本当にうれしい。