草間彌生作品

5月に旅行で草間彌生作品の常設してある長野県松本市の松本市美術館に行ってきました。

草間彌生はたぶん、時事問題とかその時感じた怒りや美しさについて自分のフィルターを通して、ある種直情的に作品を手がけていて、その怒りについてわたしは古い作品であれば時代を共有していないので共感できないのでただ美しさだけを感じ取れて良さを感じることができた(特に50年代から60年代初頭のものは素晴らしかった)。逆に80年代以降の作品のモチーフになっている感情について私は知っていながら共感できないし、特に最近になると06年のものと12年のものが横に並んだ時圧倒的に12年のもののほうに良さを感じ取ったのは、06年に起こったことは忘れたけど覚えていてデフォルメされて少し古くなって少し古いものはすごく古臭く、12年のことについてはディテールまで覚えていて新しくないながら新しく、その時の私の感情を思い起こして、目の前にある作品とリンクさせて楽しむことができたからであったと思う。それは作品自体の良し悪しとはまた別の話であるし、「今」いいものが将来も良きものとして残るわけではないことを逆説的に示してしまっている。
 それでも美術館の中で展示が入れ替わりながら常に新しいものを見られる環境が作られていて、そのことから草間彌生の作品が時代を反映しているということを自らの持つ感情と照らし合わせることで感じられる。常設展は環境としてはそんなに褒められたものではないような狭いところに設けられていましたが、それでも時勢に合わせた作品を入れ替えて選び取って展示できる場所があることは作家にとっても、鑑賞する立場にあっても幸福なことであると感じました。